2021/10/8 日記

パラレルワールドの自分と日記を共有している、とわかったのはいつだろう。そう昔ではない気がする。いつもどおりの日常を送っていたはずが、いつの間にか私ではない人が、知らない出来事を楽しそうに綴っている。その事実に気づいたのは、はてなブログを日記として使いだしてからだ。日記を書こうとブラウザを立ち上げる。時たますでに本日の日付の日記が書いてある。もちろん、今日の自分はまだ日記を書いていない。ふと開いてみると、知らない「本日」の自分は、その日あったことを楽しそうに語っている。美味しいカレーを食べた、友達と4時間も電話した。しかし、そのことは今日の私は経験していない出来事である。しかし、読んでいるとどことなく自分のことだという気がしてくる。自分がInstagramの広告で見て行きたかった場所や、自分の知っている友人たちの名前だ。つまり、私の知らない「日付」の日記を書いてる人たちは、「私」ではない自分なのだ、と気づくのはたやすかった。こういうことをパラレルワールドというのだろうか。暫定的にパラレルワールドの「自分」は時折しか現れない。おそらく、ラジオが途切れるときのブツッとした音のような事象なのだ。それは世界線が混線しているときにしか起こらない。パソコンの前に座って、日記を書き出すとき、目の前の10本の指は別の私と重なっていて、目眩がする。重ならない時間で生きる私達がキーボードを指で叩くとき、その歪みで世界も眩むだろう。