2021/6/27 日記

  あと数日で7月とは…。1日1日がすごく早くなっていって数年後は10年単位があっという間に感じていそう。そう思うと死ぬのってあっという間なのでは?小学校の時は1日がすごく長く感じて1日を「永遠」と思っていたけど、いつから体感速度が加速したのだろうか。子供のころと比べると、好きなことを選んでできるようになったからかもしれない。地元には神社と小さい広場が合体した場所がある。遊具なんかがいくつか置いてあって、休日などは今でも人でにぎわっている。遊具は時が流れるにつれ、徐々に撤去されているが、公園とは一線を画している社は今も変わらずにある。小学生のころ一人で社の中を覗こうと挑戦した。結局暗くて何も見えなかったと記憶しているが。書いていて思ったけど、地元の神社の由来とか知りたい。ネットで調べても(小さいから)あまり出てこなかったので、紙媒体の資料を見る方が早いのかな。寺社仏閣と公園が隣接しているようになったきっかけは以下簡単にまとめました。

 そもそも明治まで「公園」という概念はなかったそうだ。明治4年太政官布告の上知令で寺社仏閣の敷地は官営化された。続いて明治6年太政官布達第16号に「人が集まる自然が多い場所」を主として、「偕楽」のための「公園」を設定する通達があり、各府県で「公園」として土地が選出された。これが公園という言葉の誕生である。この公園選出の地の定義が「人が集まる古くから名勝の事前がある場所」というあいまいなものだったので、各地で大~小の公園が生まれたということらしい。この通達で生まれた公園(だと認められている公園)を「太政官公園」という。(地元は太政官公園ではない)

 この通達の理由は複合的だが、諸外国からの影響を受けていることは挙げられる。

 上野とか不忍池が埋め立てられて病院になってたかもしれないと知って、心から今公園としてあってくれてありがとう…と感謝。

 

参考文献

上知令 - 新纂浄土宗大辞典

太政官公園の成立とその実態」高橋理喜男.1969

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1934/38/4/38_4_2/_pdf

「2013太政官布達公園一覧」都市編集部

http://file:///C:/Users/yuiyo/Downloads/2013%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98%E5%B8%83%E9%81%94%E5%85%AC%E5%9C%92%E4%B8%80%E8%A6%A7_%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%85%AC%E5%9C%92203.pdf