名こそ流れてなほ聞こえけれ

大学時代の知人2人から連絡があった。大学自体はほぼ毎日と言っていいほどコミニュケーションが発生していたが、現在はそれも少なくなってしまった。1人(aさんとする)は普段育児や仕事とお忙しいので連絡が来て普通に嬉しかった。こちらも普段忙しいのをわかっているので、意味のない連絡はしていなかったのだった。もう一人はbさんで、このひとはaさんとは状況が少し違う。半年前くらいに連絡したが、まったくもって音信不通だったのでそろそろ「知人」という関係性も諦めていた人だった。共通の知人経由で連絡しても全く連絡つかなかったので、とりあえず生きていてよかったとは思った。しかし音信不通でもそれに何か謝りを入れるわけではなく、ただ「〇〇、空いてる?」とだけだった。短文。これまで自分がこういった「自分都合な」のコミュニケーションをしてきたとは思っているし、それを相手にやられたことが嫌だとか不快だとかは思っていない。このコロナ禍でお互い図りしれぬことがあるだろうし、落ち着いてきたから連絡くれたのだと思い返信した。「〇〇に付き合ってよ」と初耳のことに付き合ってくれという趣旨のメッセージだった。bさんは色々なことに挑戦したいという夢を語ってくれていた、その話を聞くのも私にとっては楽しいことだった。この半年間を空白のままに、新しい趣味に付き合ってくれと言う。なんだか一つの縁が切れたな〜と思ってしまった。今までは一度心を少なからず許した人に関しては多少価値観にそぐわないところがあっても気にせず関係を維持する努力をしようと思っていた。でもこの一年でしらずしらず自分が変わってしまったのかもしれない。自然に、関係のボーダーラインを引くようになった自分に対して驚いた。怒りも悲しみもなくただ置きっぱなしのものを片付けるように関係を終わらせることができるようになったのは少し大人になったのかもしれない。でも、これまで大切にしてきたものをなんの感慨もなく終わらせてしまうことが、過去の自分や楽しかった時間は確かにあったからだ。しかし、もう滝は枯れていたのかもしれない。

誘いは断った。